なんか真面目な考察みたいなの

世の中、上には上がいるわけだが、実際は自分の身近にいる人間を基準に判断して「まあ、このくらいでいいや」とか「俺は結構がんばった」とか思うものであろう。狭い世界のままでいるとこの状態のまま成長して、例えば学生から社会人になって世界が広がった時にいわゆる”スゴイヤツ”を目の当たりにして始めて自分の無力さを痛感する なんていうことはよくある話なんじゃないだろうか。

じゃあどうすればいいかと言われると、交流を広くするとかそういう解決策は考えられるが、根本的な解決策とは言えないような気がする。そもそもある目的に沿って人間は行動しているわけであって、その目的がまぁまとめてしまえば快楽に繋がるのであろうが、そこに到る過程の中で、あるタイムインターバル(いい単語が思い浮かばない)の間ではやるべき事というのが決まっているにもかかわらず、その取り組みを放棄して、ついつい遊んでしまう。結果留年したりあるいはお情けで単位をもらったり、それなりの成績を取っていても後に何が残ったかと問われると何ものこりませんでしたと答えてしまうなんていうのは日本の大学生によくある話だ。自分も日本の大学生である上に留年までしているので、どこが悪いかを指摘するなんていうのも馬鹿げた話であるが・・。

ただ、世界中の、特に貧困層苦学生達のように与えられた時間せっせと勤勉に学に励む輩もいるわけで、不幸にも身近にそういう人間がいないと人は「まあ、このくらいでいいや」とさぼってしまうのだろう。幸い自分には研究室に勤勉極まりない学生がいて、(まぁ学業以外の点で魅力があるかと問われるといささか返答に困るのだが)そういう人間を見ていると自分の無能さや怠惰さを痛感させられる。

最近インターネットである人物Aのサイトを発見した。A氏は氏が活躍する業界の中ではいわゆる「天才」と呼ばれる部類に入るのだが、氏の経歴を読んでいると天才というよりは優秀である集合の中からさらに突出してしまうまでの努力家であると思われる。膨大な読書量に裏づけされた知識と、それプラス氏の好奇心に基づいたさまざまな試行錯誤の経験の結果として天才と称されるに到ったのは氏の日記を見ていてありありと感じられる。

おそらく、氏が表に出ていない時期は周りから変態じみた行動だと敬遠されたであろうが、そのエネルギーはすさまじいと感じざるを得ない。人はおそらく「自分にはそんなことはできないし、なりたくもない」なんて言うだろうが、悲しい話だ。自分もそんな人間であるわけだし。そこまで突出してしまうと、真似をできるできない以前に「自分とは違う人種だ」で解決されてしまうのが本当に悲しい話だ。

ただ、氏を知ってから、自分の怠惰さを痛感させられる。留年した頃はそれなりに遊んでおり、それが無駄な時間だったとまでは思わないが、もうすこしやるべき事と両立できていれば遊んだ時間がもっと自分にとって意味のある大切な時間になっただろうなと思うし。学問(特に通信学、回路学なんかも)に対する知識ももっと深いものが持てたはずだ。まさにスラムダンクの三井君状態だ。

数年前、だらけた自分に活を入れるべく、遊び心を捨てて剣と学問に打ち込みはじめてから、それなりにおつむの方は上達してきた。ただ少々考えと態度が硬くなってしまったので、最近は柔軟な考えを持とうと心がけている。学生として残された時間はあとわずかだが、その時間内に、自分ができる最高の成果を挙げて、経済的に支援してもらってきた両親にも報いたい。その為に、残された1年間をどう過すべきかというのをきちんと考えていかなければならないと思う。いや、もっと具体的に言うと読書量(知識量、少なくとも学生のうちは工学に対する)を今まで以上の加速度で増やしていきたいし、応用力・想像力をより身につけるために研究にも全力で取り組みたい。あいまいに片付けていた問題もきちんと解決させたいと思う。自分の中にある甘えを捨てて、目標をきちんと実現できうるだけの努力をしていきたいと思う。